ヒーローの孤独~5度マイナー・セブンスコードの話~

 7月売り9月号を作っていて興味深い事実を発見したのですが、誌面には書けない(書いても誰も喜ばない)のでここに書かせて!

 西城秀樹さんの『情熱の嵐』、唄いじめのキメ・フレーズ♪情熱ぅ~の嵐よ~はコード進行がAm→Dmになってます(キーはDマイナー)。

 専門的な話になるので、楽典に興味ない人は飛ばして「バロムワン」の所から読んでね。

 キーDマイナーの構成音で5度のコードを作るとラドミソつまりAm7になりますが、西洋音楽ではバッハの時代から「解決感」を重視して、人為的(?)に調性7度の音Cをシャープさせてセブンス・コードを作ります。ラ、ドのシャープ、ミ、ソのコード、A7ですね。有名な『トッカータとフーガ』のチャララ~チャララララッタ~の「ラッ」の音です。

 セブンスコードはメジャー・コードでありながら、上部3声が短3度音程になり、ディミニッシュ・コードと同じ不安定な響きを持ちます。火曜サスペンス劇場なんかに出てくるサウンドです。
 5度コードの響きは不安定であればある程、1度コードつまりトニック・コード(ここではDm)に戻った時「ああ曲が終わった、安定した」という気分、つまり「解決感の強い」、残尿感なく終わった雰囲気になるのです。クラシック音楽やジャズではこの解決感、いわゆるドミナント・モーションを非常に重視します。

 したがって5度にセブンスでなくマイナー・セブンスのコードを使った楽曲は、稚拙だとか、プリミティブだとかっていう認識がインテリ系ミュージシャンの間にあったのかもしれません。それがある時期から、この5度マイナー・セブンス進行をクールだと考える風潮が、共有されるようになってきたようなのです。

 記者の世代はこの「5度マイナー・セブンス」を、ごく自然なものと感じます。子供の頃、特撮ソングで聴き慣れたハーモニーだからです。菊池俊輔先生の傑作『超人バロム・1』の主題歌なんか典型的です。

 最初の方「マッハロッドでブロロロロ」から「ぶっ飛ばすんだギュンギュギュン」あたりは普通にドミナント・モーションしてます。コードもキーEマイナーでB7、メロディーからしてレにシャープがちゃんとついてます。(譜例上)

 ところが最後の盛り上がるべきところをあえて5度マイナーセブンスにしてるんです。メロディーもレがナチュラルです。(譜例下)

 『超人バロム・1』は1972年。『木枯し紋次郎』なんかと同じ時期で、ヒーローは組織のリーダーなんかじゃなく、孤高・孤独な無頼漢という価値観が台頭してきた時代なのでしょう。お子さん向けの特撮ドラマでも、ヒーローは勇敢なだけじゃなく、孤独な横顔を持っているのがカッコよいとされたのでしょう。バロムワンの主題歌も、唄い出しはモーレツ社員的にガンガンいくけど、閉めはロンリーに、余韻を見せて終るのです。これがクールだったのです。こうした曲想に5度マイナー・セブンスはピッタリです。

 ヒデキの『情熱~』も同時期1973年。フォーク・ブーム期の連帯的熱さから、個人内面の熱さへと価値観が移行してゆく時代。
 実際メロディーも「じょうねつの」の「う」、「あらしよ」の「し」をヒデキはC音で唄っています。これがCシャープになるとコードもA7になるのですが、これだと当時は「クールじゃない」だったのでしょうね。

 メロディーがC音のまま伴奏のコードをA7にするとこれはAセブンのシャープナインス、ロックファンが言うところの「ジミヘン・コード」になるので、楽理的に間違いじゃありません。が、当時のクリエイター達は、ウッドストック的な熱さとは決別しようと考えていたのかもしれない、と思うと興味は尽きません。

 歌の手帖9月号、ヒデキ譜面特集は巻末。ご期待ください。
(高村)
 

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