先週の金曜日、
とてもびっくりして、
とても残念なニュースが
伝わってきました。
6月6日に、
門倉有希さんが
乳がんのため逝去された、と。
まだ50才でした。
一昨年の11月、
新曲『幸せの分かれ道』
のインタビューで
お会いしたのが、
自分にとっては
最後となってしまいました。
その時の写真です。
まだ僕が歌の手帖に
入る前ですが、
この仕事をし始めて
ちょっとしてから
門倉有希さんがデビュー。
そして
デビュー曲『鴎…カモメ』で
インタビューをしてから、
ほとんどの作品で、
取材させていただき、
色々な思い出もあるので、
とても悲しいというか、
まだ彼女の死を実感として
受け入れられません。
歌の手帖で、
何回か彼女で表紙を
やらせていただきましたが、
特に印象的だったのは、
ライブハウスをお借りして
撮影した
この2004年1月号。
ライブの似合う門倉有希さん
だけに、
そのライブの熱を誌面で
お伝えしたくて、
この表紙と巻頭を
作らせていただきました。
顔は写ってないんですが、
この写真は彼女らしくて
かっこよくて好きでしたね。
絶望的な闇のような
世界観の歌が多かった
門倉有希さんだけに、
暗いタイプと
思われがちですが、
素顔の彼女は全然違いました。
インタビューでは、
明るくて天然で、
そしていつも正直に
何でも話してくれました。
時には、
そんなことまで言っていいの?
と驚くほど、
明け透けなタイプで、
僕はそんな彼女に
取材をするのが、
毎回楽しみでした。
そう言えば、以前
彼女のインタビューの日、
僕が咽頭炎で、
小さな声でしか喋れない時が
ありました。
でも、門倉さんのインタビューは
やりたかったので、
ボロボロの声で質問させて
いただきましたら、
門倉さんは心配してくれて、
「私もライブが続いた日は、
声が出ない時があって、
そんな時はあの薬を飲んだり~」
と、新曲の話ではなく、
咽頭炎の時のアドバイスを
一生懸命してくださったんです。
あの時は嬉しかったなぁ。
彼女の最後のシングルになった
『幸せの分かれ道』。
歌詞に「so long」という英語があり、
それは
「じゃあね」みたいなニュアンスの
「さよなら」の時に言う言葉ですが、
so long and thanks.
see you!
と今は、
門倉有希さんに
そう希望を込めて、
お伝えしたいです。
個人的に好きな歌も多かったです。
『幕間』とか『 穢れなき瞳』とか。
まだまだ唄い続けてほしかった。
ご冥福をお祈りいたします。
村田