球愁

甲子園の季節になりましたね。

高校野球のことなど何も知らない私ですが、人生の中でささやかな関わりを持てた思い出が、

二つだけあります。

 ひとつは昭和50年当時、僕は12歳でしたが、所属していた町の少年野球部が、当時は6大学野球で活躍、後にジャイアンツに入団する有名投手E氏を一日コーチに招聘したこと。氏は高校野球では「怪物くん」と、畏敬の念をもって呼ばれた豪速球投手でした。

 実際にどんなアドバイスを受けたのかとか、全く覚えていませんが、夜の会食で、自分の斜め向かいの席で、ちょっと居心地悪そうにしていらした氏の姿を覚えています。単に緊張していたか、退屈していただけだったのかもしれません。

 もうひとつは六年後の昭和56年夏、通っていた高校の野球部が県予選で最終まで残り、テレビ神奈川の試合中継を皆んなで視たことです。たしか校長室か来賓室か、普段は生徒が入れない部屋を開放して見せてもらえたんだったと思います。

 

 敗退で甲子園出場はなりませんでしたが、この後、比較的短い期間で、母校が激戦区神奈川でも強豪と言われるところまで成長したのは意外でした。当時新設6年かそこらの、何の変哲もない普通の県立高校でしたから。

 テレビで視ていた試合の、最後の打者は隣のクラスのS君だったと思います。野球部の奴らは確かに身体能力高かった。例えば陸上部に入れば国体狙えるような足の捷い奴とか、体操部でもないのに大車輪出来る奴とか、そんなのばかり集まってましたからね。

人気競技のなせる技でしょう。

 演歌歌手にも角川博さん、山本譲二さん、塚原哲平さん、谷龍介さん…元・球児がたくさんおられます。レコードメーカーの宣伝部にも野球部出身者が結構います。野球と演歌は、結構親和性が高いんですね。川藤さん、落合さん、中畑さん、いい演歌唄いますもんね。

(高村)

【公式SNSを見る】
error: コンテンツは保護されています