「復活の日」ふたたび

これはあの小説そのままだと胸騒ぎを感じて、小松左京先生の『復活の日』を読んだのは今年の春先、コロナ禍の日本上陸が始まって間もない頃でした。緊急事態宣言、自粛、GOTOを経た今、また読んでいます。

 18か19の頃から繰り返し読んでいる愛読書です。あまりにも暗示的・予言的な筋書きとアイロニーに、今年二度目の読破となる今回、前回以上の戦慄を禁じえません。以下、要所(大意)を抜粋します。


――閣議にて。
「副総理、政府の行政責任において非常措置をとるべきだ。丁度“臨時国会”(!)も開かれているし…」
「出席率が定足数ギリギリの国会はあてにならん。明日は本会議が成立せんかも知れん」
「じゃここで、あなたは大英断を迫られているわけだ」

――政府は戒厳令下における軍管理を手控え、労組にじかに呼びかけたが、従事者達はある時期から、むしろ「自発的に」重要基幹産業統制に入った。この事態に激しく反対したのは、奇妙なことに極左政党だった。彼らは現実的補償の口約すらなしに、単に「社会のために」のみ産業を維持することに反対だった。

――世界的に見れば、日本のこの平静さはめずらしい例だった。都会を逃げ出して、見かけ上、まだ病気が猖獗をきわめていない地方へむかって「疎開」しようとする人々と、彼らを入れまいとする地方の人々の間に、ちょっとした小ぜりあいがあった程度だった。

――厚生省にて。
「何をボヤボヤしているの? まったくお役所って所は…」
「ウイルスなんて簡単な生き物は、すぐに変種が出来ちまいますからね。それに研究者も、続々と倒れつつあるんだよ」

――土屋医師はふと、病気や死と闘う者たちの連帯を思った。現在日本中の開業医の数は12万人。1億の人間に対してたった12万人! いったい、医者の数って、どのくらいあったらいいんだろう。1億の人間が、全員医者になるわけにもいくまい。普段は閑で食えない医者まで出て来るが、いったんこういう大流行になると、まったく少なすぎるのだ。医療体系をもう少し考え直さないと…。



 これらは最近の報道文ではありません。半世紀以上の昔、昭和39年(1964年)の小説に書かれた、日本と世界の架空の情勢の描写なのです。2020年8月の今、新聞やテレビでコメンテーターや論説委員が連日くり返している用語や論調が、恐ろしいほど正確に「予言」されています。

 ああ小松先生、今の日本にあなたがいてくれたら。

 あの「日本沈没」がベストセラーになり、映画やテレビ・シリーズになり、日本中が沈没ブームに揺れたのは昭和48年、1973年でした。福田赳夫も読んでいたというし、田中角栄は小松先生本人に「君とは一度、ゆっくり話をしたい」と声をかけたという話もあります。

 今あなたがあの頃のように、毎日のようにテレビやラジオのトークショー、国際コンベンション、雑誌や新聞のコラムに「出しゃばっ」ていてくれたら。私たちを啓蒙し続けていてくれたなら。
 
2020年の日本と世界は、少しは違う様相になっていたんじゃなかろうか。

 そう感じるのは私だけではないのでしょう。否出版界の先達には、むしろ釈迦に説法なのでしょう。だからこそ『復活の日』が各社から復刻されているのでしょう。長い間、書店で買えなかった本です。今は本屋さんの最前列に並んでいます。ご存知ない方は、是非この機会にお読みいただきたい。草刈正雄さん主演の映画版もいいけど、原作の方を一人でも多くの人に知ってほしい。今からでも遅くないと思います。遅くないと信じたい。
(髙村)

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