先日、
ゴルフのタイガーウッズが
アメリカPGAツアーで
5年ぶりに優勝しました。
その時の観客の盛り上がり、
ホントに凄かったですね。
視聴率も急上昇したとか。
みんなが待ち望んでいたんですね。
思えば1995年、
タイガーウッズがプロとなり、
彼が異次元で奇跡的な
強さを見せてくれたことで
それまで低迷していた、
アメリカのPGAツアーは
一気に人気となり、
ゴルフブームとなりました。
しかし、ここ数年、
タイガーウッズが故障や怪我や
いろいろな事件で、
試合に出られない間、
たくさんの実力ある
若手が出てきながら、
ツアー人気は急降下したそう。
でも、タイガーの復活で、
またゴルフも盛り上がりそうです。
そう、
スポーツの世界も芸能の世界も、
人気が低迷した時に必要なのは、
1人のスーパースターなんです。
関係者がいくら頑張っても
不可能なことも、
1人のスーパースターの登場で、
すべてが一新されるんです。
例えば日本の女子ゴルフツアーも、
一時期、人気低迷していましたが、
2003年に当時高校生の
宮里藍さんがツアー優勝すると、
一気に女子ゴルフの人気が上がりました。
そして
藍さんのライバルと言える、
横峯さくらさんなど、
たくさんの若手女子ゴルフ選手が台頭し、
ツアー人気は高まり続けました。
フィギュアスケートの羽生結弦くんも、
最近で言えばテニスの大坂なおみさんも
そういう資格のある存在でしょう。
音楽の世界で言うと、
もし1962年にビートルズが登場しなければ、
ロックミュージックは
今のような地位になかったはずです。
歌の手帖のブログで何が言いたいの?
と思われるかもしれませんが、
演歌低迷の危機を救ってくれたのが、
2000年にデビューした
氷川きよしさんだよなぁ、
と改めて思います。
僕が演歌の世界で仕事を始めたのが、
1994年くらいでしたが、
当時の演歌は、
女性歌手が人気でした。
レコード会社的には
「若い男性演歌歌手は売れない」と
いう考え方が当たり前のように
ありました。
だから、新人の男性演歌歌手は
女性に比べて少なかったです。
そして、
演歌は徐々に
一般の世間から
遠くなっていきました。
しかし2000年に氷川きよしさんが
演歌界に登場すると、
爆発的な人気で、
一気にスターダムへ。
1人のスーパースターの登場で、
元気のなかった
演歌界に火が点きました。
そして2001年、
氷川きよし旋風が巻き起こる中、
僕は歌の手帖に入りました。
今回の歌の手帖12月号、
創刊25周年記念号の
表紙巻頭を担当して、
改めて氷川きよしさんは
演歌界の救世主だったなぁ、
と思ったんですよね。
彼が登場したからこそ、
その後、
レコード会社の方々も
「若い男性演歌歌手は売れる!」
とその扉は開き、
続々と若い男性演歌歌手が
登場することになったと思うのです。
そして演歌も元気が出てきて、
歌の手帖も、
25年間続けられてきたんだなぁ、と。
そんな氷川きよしさんに、
取材の時、
「本当にありがとう」
と僕が言うと、
「いえいえ、とんでもないです、僕なんか…」
と彼らしく謙虚に答えてくれました。
氷川くんが演歌を選んでくれて、
本当に良かったです。
村田。
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